以前紹介したピーター・ベランジャー氏のように、写真は誰もが見た事あるけれど、誰が撮ったかは意外と知られていないということはよくあります。
歴史的な写真、1989年の天安門事件の「戦車男」(「無名の反逆者」とも呼ばれる)もそんな写真のひとつです。世界中であまりにも有名なこの写真は、誰でも一度は見た事があるような写真ですが、誰が撮ったかについてはそれほど知られていません。
今回は、「戦車男」を撮った報道写真家のジェフ・ワイドナー(Jeff Widener)氏を紹介します。
ジェフ・ワイドナー氏略歴
ワイドナーさんはアメリカの南カリフォルニアの出身で、ロサンゼルス・ピアス・カレッジで報道写真を専攻します。1974年にKodakの写真奨学金を受け、1978年から新聞社の報道カメラマンとして活動を始め、25歳でUPI通信のベルギー支部の報道カメラマンになります。
「戦車男」を撮ったのはタイのAP通信に勤務していた1989年。ホテルから天安門広場を狙って撮影していましたがフィルムが切れ、友人から借りたフィルムで撮ったうちの一枚が「戦車男」で、アメリカオンラインの歴史上最も有名な写真10枚のうちの1枚に選出されるほど有名な一枚になります。
ワイドナーさんはこの「戦車男」を撮る前後にも天安門のデモの中に入り撮影をしており、デモ隊の投げた石が顔に当たって負傷しています。この時、ワイドナーさんのニコンF3のチタンボディーが衝撃を吸収したことで命を取り留めたというのがニコンファンの間では語り種となっています(笑)。
ジェフ・ワイドナーさんインタビュー
ワイドナーさんのインタビューはPetapixelやiSnapなどで見る事ができます。ここでは抜粋して紹介します。
Q:報道写真という分野にどういう経緯で関わることになったのですか?
1972年の大統領選挙の時、候補者のスピーチを聞きに自転車でロサンゼルスのショッピングモールに行きました。その時に報道カメラマン達にとても嫉妬したのを覚えています。彼らはニコンを持っていて、プレスエリアにアクセスできたからです。
学生だった私はプレスエリアに入ろうとしてシークレット・サービスに何度もつまみ出されました。その時、ロサンゼルス・タイムズのカメラマンの一人が私を哀れに思って、ステージ近くの場所に入れてくれたのです。その時の写真がロサンゼルス・フォト・センターから報道写真賞をもらったのが一番最初です。
Q:貴方の最も有名な写真のひとつが「戦車男」ですが、この写真はどんなストーリーの中で撮られたものなんでしょうか?
これはラッキーショットだったんです。前日の夜にデモ隊の投げたレンガが顔に当たり、ニコンF3のチタンボディが衝撃を吸収してくれたおかげで命が助かったんです。さらにこの天安門事件の次期はずっとインフルエンザにかかっており、最悪の状態だったんです。
これを撮影した北京飯店には、アメリカ人の大学生であるカーク・マートセンという人の助けで入る事ができました。北京飯店の5階のバルコニーから、800mmのレンズで狙いました。途中でフィルムがなくなってしまったのですが、マートセン君が観光客から100ASAのフィルムを一つ貰ってきてくれました。
問題は、貰ってきてくれたフィルムスピードが100で、私はいつも800で撮っていたということです。Nikon FE2のオートシャッタースピードを使えば3段も低い事になってしまいます。したがってこの写真がまともに見える状態で上がってきたこと自体が奇跡だと言えるでしょう。さすがにシャープな写真ではありませんでしたが、翌日に各新聞紙の一面を飾るのには十分なクオリティではありました。
Q:「戦車男」を撮った事による、何か悪いことがありましたか? それともこの一枚は写真家としてのキャリアを進めてくれた一枚でしたか?
この写真を撮った事でいいことも悪い事もありました。この写真が写真家としてのドアを開けてくれたのは事実で、色々な人に紹介してもらいました。
同時に、人々が私の他の作品を知らないという問題もあります。いわゆる「一発屋」として覚えられたくないとは思います。これを変えるべく、AP通信の東南アジアでの作品を集めた作品集を企画しています。
(オマケ)BBCの「戦車男」とワイドナーさんの特集